貧困な僕らはポートフォリオがくめない

手取り15万円問題が最近話題になった。ついこの前には一人暮らしの手取り23万円問題なんかも大きく話題をよんだ。

これらの問題の背景には現代の日本において「お金がたりない」「生活の苦しさ」というのが全体の共通認識になっているように感じる。

極論、贅沢をしないで生きると決めた場合は低い賃金でも生活は遅れるのだろう。しかし、自分が送りたい理想の生活となったらどうだろうか。厳しい現実が目の前にあるはず。

自分に置き換えてどんな生活が理想なのかを考えてみた。

その結果自分の人生にはとにかくお金が必要なんだと改めて気付かされた。

豊かな暮らしをしたい。それが自分自身の根底にある人生の指標。

欲しいと思ったモノは欲しいし、やりたいと思ったコトはしたい。好きな人と一緒に暮らしたいし、自由に遊びたい。

自分の中の欲求をまとめると「我慢」をしたいくないという結論になった。

さらにいうと、これらの問題の大部分はお金があるかどうかで解決する。

感情的な要因についてはお金で解決はできないが、環境的な要因についてはあらかた解決が可能だ。

欲しいものが買えないのもやりたいことができないのも予定をあけることができないのは、根柢に「お金」の問題が絡んでいる。

ではお金の問題を解決するにはどうすればいいのか。

個人的な考えとして「ポートフォリオ」をつくることができるかどうかにかかっていると考えている。

お金がお金を産む。そんな仕組みを作らない限りお金の問題は一生涯ついてまわる。

ポートフォリオとは

ざっくりまとめると現金、株式、債券、不動産などの保有している金融商品の一覧やその組み合わせのこと。

自分がどのような資産をどのくらいの割合で保有しているかを表すものになる。

なぜポートフォリオをつくるのか

  • 「複利運用は人類最大の発見」

大天才・アインシュタインが残した言葉。

複利というのは「元本だけではなく、利子が利子を生む」という考え方であり、端的にまとめると「運用益をのせて資産運用し続けると雪だるま式に資産が増える」ということ。

詳しくはこのサイトなどを参照してほしい。

つまり何が伝えたいかというと、「複利運用を活用することでお金を増やす仕組みをつくれる」ということ。

この方法を活用することができれば理論上は人類全員がお金に困ることなくある程度豊かな生活が遅れるはずだ。

そしてこの複利運用を最大限に効率的に活用していくためにポートフォリオが必要となってくる。

1社だけの株を購入するということは利益が上がる時は爆発的に上がるが、損失が出た場合は逆に大損失となる。

このため投資の世界では分散投資が基本。

株を分散する=投資先を分散する=株の比率を分散する

つまりポートフォリオが必要となる。

つくることができれば、理想論では暴落乗り越えられ、案定して毎年資産が増えていく。

運用益やリスクなどを考えて資産を運用していくことでお金がお金を生む仕組みをつくる。

なぜポートフォリオをつくっていない人が大半なのか

理由は大きく2つある。


  • 金融リテラシーが低い
  • 資金不足


この問題について深掘りしていく

金融リテラシーが低い

現行の学校教育の中ではお金の話はほとんどされない。

歴史上の人物の名前や数学の計算なんかは重要視されるわりにお金について話は比率が少ないように感じる。

実際に自分の学生生活を振り返ってみてもお金や株について詳しく話してくれた先生は誰もいなかった。

しかし、いざ社会にでると当たり前のように税金を引かれ、理不尽なほど老後資金は準備していないといけない。

どの業界においても無知は養分だ。ろくに教育を受けていないまま社会人になった人材は社会の養分になっているといっても過言ではない。

現に、複利の力で理論上は豊かになれる方法があるというのにやっている人はごく一部である。

日本人は貯蓄の傾向が強い。海外に比べてもその差は歴然。

基本的な思考として「リスクより保有」という概念がある。

この基本的な姿勢による弊害として株や資産運用への興味の低さが目立つ。

もともとお金の話は卑しいという概念がある国なのである程度はしかたがないと思うが、この思考は現代においては大きなデメリットであるといえる。

増やせる機会や知識を損失していてはいつまでたっても資産は増えていかない。

独特の概念や教育が邪魔して「お金」についての勉強を先送りしていることが問題の1つであると推測できる。

資金不足

ポートフォリオ作成には莫大な資金が必要となる。

大前提として株を運用する際にはリスクを少なくしていくために、分散投資をする必要がある。

このため株を保有する際には国内外、業種なども様々にバランスを考えて株を保有することがいいとされる。

しかし、ここで考えなければいけないのが株の値段である。

企業によっては最低金額が何百万という企業もある。

そうなると例え1千万自分がもっていたとしても10社の株しか買うことができず、分散投資という側面からみたときにリスク軽減が十分ではないといえる。

本来はもっと様々な株を保有していくことでリスクを分散させていく。

このようになっていくと正直資産が1千万あっても本格的に始めるには不十分かもしれない。

1千万あっても運用する金額としては不十分とされると一般的な人にとってはどう頑張っても捻出できない額になってくる。

貯金を貯めて300万くらいであれば運用の可能性が見えてくるのかもしれないが、1千万でも不十分、そうなってしまっては複利という素晴らしい枠組みがあったとしても使うことなく人生が終わってしまう。

調べてもわかりにくい

複利の力を発見してポートフォリオという単語にいきついた人も多いと思う。

自分自身もこの単語までたどり着いて最近勉強をしている。

しかし、検索や書店に行って思うのはポートフォリオについては情報が少なく、わかりにくいということ。

僕自身が初心者ということもあって情報がとりきれていないだけかもしれないが、非常にわかりにくい。

調べても投資信託や株の銘柄、FXのことなが主で、複利のことにふれていたりまとめているものになかなか出会えない。

何が原因かはわからないが、市場には養分と呼ばれる階層の集団が必要となる。

つまり全員が賢いと売り上げが低くなってしまう。

つまりは市場にお金を落としてくれる初心者が賢くならないように情報が出回らないのではないかと考えることもできる。

無知は搾取される時代

知らないことを知っていくことはおもしろいことではある。

ただ知らないということは、それだけ他人の知識に左右されるということ。

わからない人はひたすらにお金も知識も搾取されていく。

例を挙げると税金は無知が招く搾取の最たる例だ。

税金は知っていると知らないとで支払う金額が大きく変わる場合がある。

日本は基本的に申告制の国であり、受動的な態度でいるとひたすら搾取され続ける。

逆に上手に申告ができるとまわりよりもお金と付き合うことができるだろう。

大きく時代が変化していく中で知らないというのはそれだけで大きな搾取の対象になってしまう。

だからこそ自分で情報を掴みにいき、勉強を積み重ねていく必要がある。

生きれることと生きていることは違う

お金なんてそんなになくても生活はできるのかもしれない。

それこそ日本は文化的で健康的な最低限度の生活が保障されている。

つまり「最低限」は法律で保障されているわけである。

しかし、最低限というのは「生きれる」だけであって「生きている」わけではない。

生きれることを基準として考えるのであれば、寝て起きて食事をして寝るだけのお金があればいいことになってしまう。

必要最低限があればいいということになって娯楽は0だ。生活に彩りはない。

一見すると無駄そうに思えるかもしれないが、人生を豊かにしているのは好きなことであり趣味であり無駄なことである。

好きなことが規制される生活はなんともつまらない人生になるだろう。

つまり好きなことができて初めて「生きている」と言えることになる。

そして現代。好きなことをするためには何が必要になるか考えたとき、どうしても関係性を切れないのがお金である。

趣味や好きなことにお金は関係ないと言いたいところだが、趣味のための道具や活動費などはどうしてもお金が必要になる。

それこそ好きなことに打ち込むためには生活費なども必要になることから、日本に住んでいるうちはどうしてもお金については考えなくてはいけない。

お金に余裕があって初めて心にも好きなことにも余裕ができて「生きている」ことができる。

まとめ

ポートフォリオを組むことができれば理論的にはお金に困ることはなくなる。

ただそのための資金力が一般人にはない。

何十年間も働けば目標の金額に到達するのかもしれないが、お金が貯まったときに自分の体は思うように動くのだろうか。

短期間で成り上がることは難しいとしてもあまりにも長時間かけるようでは人生がおわってしまう。

給与所得だけでは貧困は生涯続いていく。しかし、自分で責任を負いすぎることもなく仕事に打ち込めば最低限の生活は保障される。

どのような人生を送るのがいいのか、これは一人一人が考え続けなくてはいけない。

貧困を脱却するために僕自身は自分の資産を増やしたいと思っている。

貧困な生活では生きていると思えないからだ。

複利の力をなんとか活用するためにもお金の勉強は継続しつつ種銭をどのように準備するのが今後の課題である。